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2017年8月16日 (水)

日本人が大切にしてきたもの阿波踊り編

みなさんこんにちは菊澤多門です。

戦後、朝鮮戦争のおかげで日本は高度成長できて、運が良かったねぇ
という声を聞いたことがあります。
たしかに日本の高度成長は
朝鮮戦争のおかげも大きな要因でしょう。
だけど運が良かっただけでの高度成長では
決してないと思うのです。
もう日本が戦争に敗けるという頃、
徳島県も空襲で
焼け野原になったのだそうです。
命からがら生き延びた人はどうしたのか?
想像してください。
家もなくなり、
家族も亡くなり、
友も亡くなり、
食料も無くなって、
生活そのものが突然無くなってしまったのです。
絶望の渦中に居る、
その方は、
焼け野原から黙と、
燃え残った浴衣や
着物を取り出したのだそうです。
そしてそれを着て
踊り出したのだそうです。
徳島の空襲で生き延びた方は
今、本当に一番必要なものが何なのかを
知っておられたのかもしれません。
そしてそのたった5年後には
昭和天皇、皇后、両陛下の御前で
阿波踊りを披露するほどになっていきます。
阿波踊りというと
踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃそんそん
という印象から
阿呆のような踊りだと思っている方も
いらっしゃることでしょう。
最初は私も
さぞかしこっけいな踊りなのだろうと
思っていました。
実は、
阿波踊りは阿波踊りという名前の
盆踊りなのです。
400年の歴史があると言われています。
盆踊りというとたいていの人が
手を上げ下げしながら櫓の周囲を
回る踊りを連想されることでしょう。
盆踊りは本番の1カ月から数日くらい前に練習をするのが一般的なようです。
同じ盆踊りでも
阿波踊りはそれとはずいぶん違う踊りなのです。
阿波踊りのグループは連れんと
呼ばれています。
徳島には1000に近いほどの連があります。
その中でも有名連と呼ばれる精鋭集団が
33連あるのですが、これがすごい。
だけど、たいていみんな素人なのです。
阿波踊り期間である、
たった四日間の為に
一年間の稽古を積むのです。
だけど一年間頑張っても
半人前ですらないのです。
さる有名連の連長いわく
5年くらいの経験を積んで、
ようやく一人前
なのだそうです。
笛、太鼓、三味線、鉦かねなどの楽器を

阿波踊りでは鳴り物といいます。
鳴り物は力強く二拍子を奏でるのですが
それはぞめきと呼ばれていて
徳島の心なのだそうです。
このぞめきから阿波踊りは始まります。
男踊りは腰を低く極限まで落として
人間はこんな格好もできるのか
と驚くほどの体勢で
自由奔放、活発に踊ります。
女踊りは優雅で可憐に見えつつも
両手を高く上げたまま
艶やかでしとやかに踊ります。
阿呆連
ずっとバンザイの状態で10数分間踊るのは
至難のわざでしょう。
徳島には
踊れるのなら嫁にもらおう
という言葉があるほどなのだそうです。

また、多くの連が
団扇うちわや提灯ちょうちんや扇を
華麗にさばきながら踊るのですが、
スローモーションで見ても、
何をどうしているのかわからない。
その技術の高さに驚きます。

無双連

そしてぞめきがいっそう高鳴ると
生きる喜びを
からだ全身で表現しながら乱舞するのです。
天水連
他府県民、
外国人を多く含む
のべ20万人が徳島県に集まり、
熱狂し歓喜するほどの魅力があるのです。
最大の有名連、娯茶平の岡連長は
一生を捧げ悔いなし阿波踊り
と、言われています。
阿波踊りは戦後復興の象徴です。
これからどんな障害が立ちはだかっても
そんな時はきっとみんなで踊りだすのでしょう。

菊水連

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